共有

108話. 戻ってきた名前

作者: 6jay
last update 公開日: 2026-11-08 08:01:00

差し押さえた資産の売却と配当が進み、紗月は再び裁判所へ行った。

午前10時。理沙が支払明細と海外の権利移転書類を、テーブルに分けて置いた。窓から晩秋の日差しが入っていた。

事件番号、2026年第9901号。

横浜港で確保した金塊20kgの売却代金は、2億1400万円だった。明細には、214,000,000円と印字されている。

「ここまで配当されたよ」

理沙が口座履歴と文書を順に示した。

「特許権12件は、別の移転書類。金額と一緒にまとめて見ないで、権利者の名義も確認して」

紗月は紙を引き寄せた。海外で他人の名にされていた権利が、自分とアトリエの法人へ戻る内容だった。国ごとに、対象の図面を確かめた。

目の前に金塊が積まれていたときより、権利者の名前を長く見た。自分の手を離れた図面を、また使える。その実感が湧いた。

「前に取り戻した12件とも、照合してあるのよね?」

「うん。国内での権利回復と、今回の海外移転を併記してある。同じ原本から派生したも

この本を無料で読み続ける
コードをスキャンしてアプリをダウンロード
ロックされたチャプター

最新チャプター

  • 奥様、その姿勢はなんだか気になります   108話. 戻ってきた名前

    差し押さえた資産の売却と配当が進み、紗月は再び裁判所へ行った。午前10時。理沙が支払明細と海外の権利移転書類を、テーブルに分けて置いた。窓から晩秋の日差しが入っていた。事件番号、2026年第9901号。横浜港で確保した金塊20kgの売却代金は、2億1400万円だった。明細には、214,000,000円と印字されている。「ここまで配当されたよ」理沙が口座履歴と文書を順に示した。「特許権12件は、別の移転書類。金額と一緒にまとめて見ないで、権利者の名義も確認して」紗月は紙を引き寄せた。海外で他人の名にされていた権利が、自分とアトリエの法人へ戻る内容だった。国ごとに、対象の図面を確かめた。目の前に金塊が積まれていたときより、権利者の名前を長く見た。自分の手を離れた図面を、また使える。その実感が湧いた。「前に取り戻した12件とも、照合してあるのよね?」「うん。国内での権利回復と、今回の海外移転を併記してある。同じ原本から派生したものも区別したよ」うなずき、確認書に署名してペンを置いた。「ありがとう、理沙。いつもこればっかり」「聞き飽きそうになったら、教える」紗月は吹き出した。緊張が解け、目元が濡れた。理沙も笑いながらティッシュを差し出した。10億円を取り戻したときとも違った。今回は、雅人が最後までないと言っていた物を見て、それが金と権利になって戻る過程まで見届けた。倉庫で記した数量を思い出す。「金庫が開いたときの音を、何度も思い出すの」「驚いたよね」「うん。お金もだけど、私の図面があったから」理沙は書類をもう少し寄せ、紗月が十分に読んで閉じるまで待った。最後までめくり、ファイルを自分の鞄に入れた。* * *東京の刑務所。雅人は配当が終了した通知を受け取った。自分に戻る残額は0円。下にある数字を見ても、手を離せなかった。「0円……」隣の書類には海外の権利移転結果もあ

  • 奥様、その姿勢はなんだか気になります   107話. 金庫に残っていた、私の線

    火曜日、午前9時。横浜港第4埠頭の保税倉庫。車を降りると、潮風がコートの内側へ入り込んだ。紗月は襟を寄せ、理沙について歩いた。怜司は風を受ける側で並んだ。入口で関係者の確認が行われた。執行官3人と税関の捜査官が書類を照合する。指定された場所で待つ紗月に、入る前、理沙が声を落とした。「物は自分たちで触らないで。確認するところは私が伝えるから」「うん」2026年第9901号に基づく執行と、税関の現場確認が始まった。3号室の鉄扉が開くと、積まれた木箱が見えた。床から埃の匂いが立った。捜査官が梱包を確かめ、箱を開けた。麻袋の中に金庫があった。技術者が錠を調べる間、紗月は動かず待った。開いた金庫の中で、最初に見えたのは整然と重ねられた金塊だった。その横に書類封筒がある。純度99.99%、1kgの延べ棒が20本。目で数え、理沙を見た。彼女も一覧を確かめていた。約2億円と推定されていた隠匿資産。雅人が海外の高利貸しの仲介人を通じて持ち出そうとした物が、ここに残っていた。封筒には、スイスや香港の名義が混在する海外デザイン特許の書類があった。執行官が一覧と照合した。全部で12件だった。最初の図面を見て、紗月は唇を結んだ。知らない金塊を見つけに来ただけと思っていたのに、封筒から自分の仕事の跡が現れた。「あの線は、私が描きました」理沙が示された部分を確かめ、メモを取った。「元の作業ファイルと、もう一度照合する」紗月はうなずいた。手を伸ばしたかったが、しなかった。書類が証拠用の袋に入るのを見届けた。執行官が本数と文書一覧を確認し、差押えの標示を付した。理沙が記録を点検する。確保したあとには、売却と配当、権利移転を進めなければならなかった。「数量を確認してください」紗月は渡された書類を読んだ。20kgと12件。その数字の下に名前を書き、ペンを返して一歩下がった。雅人は、ないと言った。一文なしで、これ以上出すものはないと。信じていたら、この箱は海を渡っていただろう。長く息を

  • 奥様、その姿勢はなんだか気になります   106話. 明日は、歩きやすい靴で

    南青山の大通り沿いに建つ、複合旗艦施設。地下3階、地上8階の建物で、販売スペースを先行開業する日だった。全施設の正式開館に先立ち、東京の店舗と海外の受注網をつなぐローンチイベントが開かれた。ブロンズのフレームで縁取ったガラスの外壁に、祝賀幕が掲げられていた。ルクスグループのアンリ・ベルナール会長、ニューヨークのアスター・フィフス、ロンドンのローズウィック、上海の白華百貨店など、取引先からの花が入口に並ぶ。午前10時、紗月はエメラルドグリーンのスーツでテープの前に立った。カメラへ顔を向けると、怜司が隣に来た。ハサミの載ったトレーを確かめ、社員に小さくうなずいた。「大丈夫ですか」「はい。ハサミ、思ったより大きいですね」彼が笑った。近くの社員の緊張も少し緩んだ。司会の案内でテープが切られ、人々が店内へ入った。紗月は壇上で挨拶を始めた。「服を着て動いたとき、不自由に感じるところを見つけ、直すことから始まりました。運動するときだけでなく、出勤して、子どもを抱いて、家に帰るときにも、心地よく着られる服を作りたかったんです」画面を示す。スポーツウェア、オーダーメイドの服、今後運営するウェルネス空間が順に紹介された。社員たちが説明を引き継ぎ、来場者は生地や実際の服を確かめた。紗月も降壇して店内を歩いた。ハンガーの間にいたバイヤーに縫製を問われ、裏地を返して見せた。写真を撮る人がいても、手は服から離れなかった。パリ、ロンドン、ニューヨーク、ミラノ、上海など、50拠点の受注網も同時に動きだした。現地のポップアップや百貨店から、注文が積み上がっていく。午後3時、8階の執務室へ戻ると、システム統括責任者が画面を持って入ってきた。「社長、15億円を超えました」息を整え、説明し直した。「5時間で集計した事前予約と、本日の現地注文額です。全50店舗の合計です」社員たちから歓声が上がった。紗月も立った。画面には集計時刻と注文額が並んでいた。「キャンセルと重複を反映して、締めでも再確認してください。出荷の予定は?」

  • 奥様、その姿勢はなんだか気になります   105話. 伝えない謝罪

    東京の刑務所、面会室。雅人は受話器を握り、向かいの理沙を見た。収容服の袖から覗く手首は、前より細くなっていた。10億円の裏金回収、株式の競売、破産、確定した懲役14年。母まで勾留され、花音の養育状況を変えようとした申立ても却下された。その説明を聞く間、雅人は初めて声を荒らげなかった。「書類は送りましたね?」理沙に問われ、うなずいた。彼が作成して送った書面は、理沙のファイルに入っていた。今回の裁判に対する不服申立てを放棄する意思と、花音の養育を妨げないという誓約、残る財産精算に協力するという内容だった。理沙は対象事件と雅人の署名から照合した。「内容をご自分で読み、署名しましたか」「はい」「残る財産の一覧も、漏れなく提出してください」「まだ何を出せと? 俺に何が残っているって……」途中で言葉を切った。理沙はペンを置き、彼を見た。「何もないと言ったあと、何度お金が見つかったか、ご存じでしょう」雅人は目を伏せた。指が受話器のコードを巻いては離した。少し静かになってから、つぶやいた。「紗月が全部勝ったんですね。俺は一文なしで、ここで14年。母まで入れられて、これ以上何ができるんです」紗月が何を失ったかは、最後まで口にしなかった。理沙は記入漏れを確認してファイルを閉じた。「この誓約とは別に、裁判所の保護命令は守ってください。紗月や子どもへ直接連絡しないこと」「もう、家族でもないんですね」「婚姻関係は終わっています。子どもを思いどおりにできるという考えも、やめてください」理沙がきっぱり言った。雅人は答えを聞いても、しばらく座ったままだった。つい先頃まで、体の管理もできないと妻を罵っていた口で、今は自分への返事を乞うていた。「先生」面会を終えようとすると、慌てて呼び止めた。「一言だけ。悪かったと伝えてください。本当に、俺が間違っていたと」理沙は受話器を耳に戻した。「紗月は

  • 奥様、その姿勢はなんだか気になります   104話. 書類で説明した、娘の一日

    東京家庭裁判所。紗月は傍聴席を一度見渡し、座った。雅人の親族が後ろに集まっていた。静江が勾留されたあとも、花音の養育を口実にした申立ては続いていた。理沙が前に置いたのは、娘の生活と世話の予定をまとめた資料だった。紗月は一番上の花音の名を指先でなぞった。「大丈夫?」小声で問われ、答えた。「うん。始めよう」事件番号、2026年第3302号。花音の親権者および監護者の変更について、審問が行われた。雅人側の代理人が先に話した。「橘紗月氏は企業経営に伴う海外出張が多く、子どもが放置されるおそれがあります。父方で養育するほうが適切です」書類の下で、紗月の手が止まった。花音の食事を用意したことも、熱を出した夜にそばにいたこともない人々が、『放置』と言った。理沙が提出資料を開いた。「出張中に誰が世話をし、保護者との連絡をどう維持するかは提出済みです。母方の祖母による世話と居住環境、幼稚園での生活資料を併せてご覧ください」豪華な資産証明より先に、娘の一日が説明された。母が海外にいる間の通話、降園後に帰る家、慣れた保護者のこと。「一方、申立人側は子どもを尾行して撮った写真を、金銭要求と中傷に利用しました。その判決と、今回の社屋前での恐喝事件の資料も提出します」理沙が書類をめくった。紗月は膝の上の手を開いた。写真の中の花音をまた見ることになるかと思い、少し視線を下げた。娘を診た専門医の意見も検討された。母との情緒的なつながりを保ち、脅威となる接触から守る必要があるという内容だった。理沙は私的な検査内容を傍聴席へ長々と読み上げず、該当箇所を裁判所に示した。相手の代理人は言葉を選び、また出張を持ち出した。発言の番が来ると、紗月は立った。「私も、離れているときは心配です。だから誰が迎えに行き、どこで寝るのか、前もって確認しています。心配だからといって、娘を盗撮して脅す行為まで、世話と呼ばないでください」最後に声が少し震えた。それでも止めず、言い切った。理沙が傍らで資料を支えた。

  • 奥様、その姿勢はなんだか気になります   103話. 父に見せた、一枚の紙

    午前10時、東京地方裁判所の供託関係の窓口。紗月は理沙と並び、払渡しに必要な書類を確認した。事件番号、2026年第8812号。静江が借名で隠していた千葉県内の土地と預金から回収した金だった。元金5000万円、遅延損害金800万円。支払総額、58,000,000円。金額の下にある自分の名前を、長く見た。かつては使途を聞くことさえ許しが必要だった。今は自分が受領者として記されていた。「必要書類は、全部確認できたよ」理沙に言われ、署名欄に名前を書いた。最後の一画を引く指先が少し揺れた。5年前、花音を抱き、雅人の家のリビングに座っていた。授乳の途中で娘は眠り、腕が痺れていた。雅人と静江は、会社が大変だから実印を持ってこいと言った。『実家が用意してくれたお金を今入れなきゃ、家族が生きていけないでしょう』使い道を聞くと、静江はため息をついた。家族が信じられないのか、と。会社が大きくなると今度は、手ぶらで嫁に来たと言った。紗月はその間、両親には金を役立てていると言い繕った。そんな嘘までついたことが、長く恥ずかしかった。「理沙」ペンを置き、友を見た。「ありがとう。このお金は……金額だけの問題じゃなかったの」「わかってる」理沙は何か言いかけ、代わりに手を握った。紗月はうつむいて目元を拭き、濡らさないよう書類を反対側へ寄せた。「まず、母に話さなきゃ」裁判所を出て電話した。回収した元金と支払われた金を、順に説明した。母の声を聞く間、何度も目を閉じた。「今日、父さんのところにも行こうと思って。花音と怜司さんも一緒に」電話を終えると、理沙が尋ねた。「運転は?」「怜司さんがしてくれる」「よかった。今日は道中まで一人で頑張らないで」紗月は笑って、書類を胸に抱いた。* * *午後2時、千葉県郊外の霊園。父の墓前に、紗月と怜司、花音が立った。秋の陽が墓石の角

続きを読む
無料で面白い小説を探して読んでみましょう
GoodNovel アプリで人気小説に無料で!お好きな本をダウンロードして、いつでもどこでも読みましょう!
アプリで無料で本を読む
コードをスキャンしてアプリで読む
DMCA.com Protection Status